親の死を乗り越えるというのは大変なことでありいつか死別というのはやってきます。
実を言うと私も3年前の2022年に親の死を経験しましたが正直その時はもうつらかったと言っても過言ではありません。
しかしこの親の死を乗り越えて3年が経過しましたが今思うと親の死というのは最後に与えられた試練ではないかという風に思いました。
私も50歳を迎えそして残りの人生をどのように生きようかという風に考えた時に親世代の生き方を生きるのではなく自分らしい人生を生きようと決めたんです。
今日はこれを踏まえて死別を乗り越えることとは何かということをお話ししていきます。
親の死は本当にこの上ない苦しみを伴うものだ
私は親の死を本当に経験した人間として自分の母親と父親というのをとても尊敬していると言っても過言ではありませんが親は本当に病院で亡くなるという看取りを経験しました。
母親は5月に亡くなり父親は8月に亡くなるというようなことを経験しましたがどちらも病気でした。
別々の病院とは言え看取りに立ち会ったということには違いないと言ってもいいぐらい本当に辛い経験をしました。
この上ない経験をしなければいけないというのは家族の代表として自分自身が今まで病気で本当に病弱だった時から支えてくれた親というのは感謝に値すると言ってもいいぐらい私は親孝行としてお墓を建立しました。
それくらいのことしかできない自分にとって親の存在というのは何だったのかというと本当に私自身がこのように誕生してから50年ちょうど半世紀になりますがそこまで育ててくれたせめてもの親への感謝の証です。
生きていれば本当にもっと色々なことができたかもしれませんが親が亡くなりすでに3年が経過した今さらに3年後には7回忌が控えています。
今のところ7回忌はどうしようかということに関しては特に考えていませんがこのご時世本当に家族葬が増えています。
家族葬については後ほどお話ししますが本当に、昔のように親戚類が集まったというようなことではなく家族単位で葬式をするというような時代になりました。
親の死というのは1つのターニングポイントを過ぎたのではないかと私も思い今まで孤独にずっと過ごしてきましたがこれからはスタートだと言ってもいいと思います。
お金よりも大事なことは時間の使い方である
お金の話をすると日本人はどうしても悪いイメージがつくかもしれませんが私はお金も時間も最も大事ではないかと思います。
しかし親をなくしてから本当に思ったことは時間をもっと大切にすれば良かったという風に思い私自身は半世紀生きた中でほとんどが病弱だったので健康になることしか考えていませんでした。
今も病院に通院しているとは言えクリニックまでなんとか回復したと言ってもいいぐらいでしたが今の目標は健康なアラフィフになってもっともっと人生を楽しく生きようと思いました。
そんな中で親が亡くなるという経験をして自分自身が思ったのは時間の大切さということです。
お金は落としても戻ってきますが時間は永遠に戻ってこないので本当にこの時間の大切さということを知っておかなければなりません。
私は本当に時間の大切さを知った時に自分は何をしていたんだという風に思うこともありましたし関わる人間ももっと違っておけばよかったという風に思いました。
今に思えば人生はどれくらい生きるのかという風に考えると私は50年でもまだまだ若いという風に捉えるのかそれとももう50年なのかでは話は違うと思います。
お金よりも大事なことはもちろんありますがやはりお金がないと今の社会は全然生きていけません。
時間の使い方を大切にすればお金もどんどん増えますしもちろんそれ以外のことにも使えるので時間は本当に大切にするべきではないかと思います。
家族葬が当たり前の時代になった
昔は本当にお葬式といえば親戚や家族の人たちが集。というような村全体で行われていたというようなことがありましたが今は全然そんなことがないです。
私も本当に喪主を務めて初めてわかったのですが自分が家族の代表として葬式を執り行うというのは本当に大変なことです。
令和時代の葬式のスタイルとしては家族葬というのが当たり前のものでありもちろん葬式というのは行わなくてもいいというわけではないです。
今の時代というのは葬式を行わない代わりに直葬がありますが、私はこのやり方は死者を冒涜するというようなことなので絶対やめてほしいと思いました。
やはりどんな人間も立派に生きてそしてなくなっているわけですから当然のことながら葬式をして形だけでもあちらの世界に行くということをしてほしいと思うんです。
もちろんあの世にはお金なんて持っていけません。
貧乏人もお金持ちもみんなどのようになるかというのは宗教者によって違ってきますが1つだけ言えることは私自身親の死を通じて本当に人間の本性が現れるのは葬式の時だなという風に思いました。
親戚や友達類そして近所付き合いしていた人間誰も来ませんでしたしみんなお金で済ますというようなことなのですがこれで本当にいいのかという風に言われると私はそんなことはないと思います。
家族葬が当たり前になったとは言えこんな形だけの付き合いであるならばもう付き合わなくていいやという風に私の中で思いました。
つまりあなた自身が今まで付き合ってきた人達というのは別に好きで付き合っているわけでもなければ嫌いでもないということですがただあなたの親が亡くなって完全に否定されているというような状態であるならばそれはあなたにとっては何のメリットもないでしょう。
ですのでそんな付き合いであるならば別にこちらから願い下げだという風に思ってもいいと思います。
お墓の建立者としてわかったこと
親の死後、お墓の建立は地元の石材店に依頼して作っていただきましたが正直言うと今お墓を持たない人が増えてきているということで私も驚きました。
まだ田舎ではお墓を持つというような風習があると言っても過言ではなく田舎はやはりまだまだ石材店の需要があるのでそんなに潰れるということはないです。
私自身も本当にスタンダードなお墓でいいので作って欲しいということを依頼して父親が先に15万円ほど払いましたが私自身がもう少しちゃんとお話を聞いてそれで残り45万円ほど支払ったので60万円ほどになりましたがとりあえずはスタンダードなお墓ができました。
お坊さんのお布施は別としてもお布施はだいたい3万円から7万円が標準ではないかというふうに思っているのですそれ以上のことは分かりません。
お墓の建立者としてわかったことは自分自身が最後の親孝行としてできることは何かというとお墓の建立ではないかということだったんです。
もちろんお墓の建立をすることによって亡き親の遺骨を納骨するということができたので自分にとっては何とか最後の大役を果たせたんじゃないかという風に思ったんです。
でも1つだけ言えるのは今お墓を持たない人が増えているということでもちろんお墓が高いというのもあるでしょうし経済的な理由がほとんどではないかと思いますがやっぱりお墓はいいです。
お墓参りに行って掃除をして心の拠り所というところもあるので亡き親のお墓に手を合わせる事ができるのはいいことだと思いました。
死別は簡単に乗り越えることはできない
親の死や介護の問題からは逃れることはできませんがはっきり言えることは親の死別から簡単に乗り越えることっていうのはできないです。
私も親が亡くなり最初の1年というのは本当にどん底に落ちていたと言っても過言ではありません。
その頃はもうどん底に落ちて自分も死にたいというような経験を何度もしてきましたがでも自分が死んだら誰が家族を支えるんだという風に思いました。
もう自分自身は誰にも頼る事はできないということですが、今本当に困っている時に助けてくれる人が一番私にとっては大切な人だと思いました。
都合のいい時だけいい人を演じたとしても私自身はその人たちがいい人には見えずどちらかといえばフレネミーに見えるんですね。
だからこそ死別というのは簡単に乗り越えられるわけではありませんし最初の1年というのはのたうち回るほど辛いような経験をしないといけないです。
私も自分の兄のことが気になったりして色々と今は施設に入れていますが正直どうなるかなんて分かりません。
でも自分だけがちゃんと健康になっていないといけないということなので家族の代表として絶対にわずかな希望でも捨ててはいけないと思いました。
50歳からの人生は自分のために生きろ
私も50歳になり昭和で言えば100年になるというようなことになりますが本当に50歳というのはあっという間に過ぎたなという風に感じました。
そんな自分がこれからどんな人生を歩んでいこうという風に考えるとき、もう親はいないんだ自分はこれから楽しい人生を生きていこうという風に考えたんです。
人に迷惑さえかけなければこの日本という国は楽しく生きていけるという風に考えればいいでしょうし障害者という中で生きているというのだろうならば障害者の自分も認めてあげて何ができるのかという風に考えていけばいいでしょう。
確かにデメリットもあるかもしれませんが、デメリットの自分も愛してあげるというような自分になっていけばいいんです。
本当に死別を経験するというのは簡単なことではありませんし周りも理解もなかなか進まないというよりも理解されなかった方が多かったのではないかと思います。
悔しくて悲しくて色々と考えた時もありましたが私はその時自分のために生きようという風に考えました。
今はこうして周りの意見に流されずに自分はどうしたいのかという風に自分自答しながら、ベストな答えを常に求めているんです。
他人のために生きているというような人は本当に他人に依存している部分があるかもしれませんがそんな人生は絶対にろくなことはありません。
親世代の生き方を学んできた私自身は正直親世代の考え方をずっと信じて生きてきましたが今思えば一体あの考え方は何だったのかという風に思う部分があります。
もう親世代の生き方も何もないですし令和時代というのはAIが進んだいい時代になっているのでこれからは自分のために生きようという風に思います。
家族のために自己犠牲になるのは虚しさを生むだけだ
自己犠牲になるということは最も最悪な人生だと言ってもいいかもしれませんが私は家族の死や兄の介護などを通じて分かったことですが自己犠牲の生き方は結局自分を苦しめるだけです。
誰かに頼ってもいいと思いますし例えば兄の場合は介護施設で過ごす以外ないので、本当に介護士には感謝していると言ってもいいです。
ただ家族のために自己犠牲をしてしまうというような考え方をしてしまっては意味がないのは自分の人生を歩んでいるし兄も人生を歩んでいるんです。
だからこそ共倒れをしてしまったら意味はないので本当に自己犠牲の生き方というのはやめてほしいです。
自分軸と他人軸というような生き方があるかもしれませんがあなたは自分軸で生きていいんです。
今までの日本の社会は他人軸で生きてこそ美徳だという風に思われてきましたがそんな他人軸で生きても何も報われないと言ってもいいです。
家族のために生きるということは素晴らしいかもしれませんが自分の健康を害してまで生きて本当に得するのかということを考えると得なんてしないです。
逆に共倒れをするだけなので、本当に控えましょう。
まとめ
死別を乗り越えるというのは大変なことだと言っても過言ではありませんが、周りから理解されないことと本当に忘れ去られてしまうというのはつらいです。
ワンピースのドクターヒルルクの言葉にこうあります。
「本当の死とは周りから忘れ去られたときさ」
この言葉は本当にインパクトを与えると言ってもいいかもしれませんが私もそのように思います。
死別を乗り越える辛さというのは誰もが経験しなければいけませんが私は経験した人間として少なくとも3年間は辛い思いをしました。
それでも私自身誰かに相談するわけでもなく淡々と時が流れるのを待っていたのかもしれません。
死別の経験は乗り越えたものしかわからないと言ってもいいのではないかなという風に思います。

著述家、慈善家。兵庫県生まれ。生まれたときからてんかんという病気に悩まされ
投薬治療をして現在は家族の介護をしつつ好きなことで生きる。両親の死を境に
生きるとはなにかを模索する。失敗は財産ということを忘れずに特攻精神でいきる
ことに意味がある。



